正宗寺沿革

寛永12年開創

東海派の興宗宗松に始まる興宗門の密山演静を開山とし、江戸時代松山藩公儀支配の寺として末寺10ヶ寺を擁する伽藍系(修行僧が集まり修行をする施設)のお寺であった。
正宗寺開創の年、松平定之が松山藩に移る年、松山城の天守の改築の年に関して、細かな説明は下記を参考にして下さい。

寛永12年から19年までの7年間

まず、寛永12年の前にお寺は在ったのでしょう。
寛永12年に松平定之と密山演静が松山に来た後に密山は正宗寺の和尚として赴任し、4年後の寛永16年に松山城の天守の改築を開始して3年後の寛永19年(松平定之が赴任してから7年後)に天守改築が完成しました。
その改築時に余材を家老の奥平氏の提案で正宗寺を公儀のお寺として改築し、松平定之を正宗寺の開基としたのではないかと思います。
史実としては寛永12年に密山演静が開山として正宗寺に入り、後に松平定之が開基となられたのではないかと思います。

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